福岡地方裁判所 昭和47年(ワ)1395号 判決
原告
奥田ヨシノ
ほか一名
被告
上地幸光
主文
一 被告は、原告奥田ヨシノに対し金一四六万、一、〇六五円、原告奥田小百合に対し金六九万、二、一二九円と、右各金員のうち原告奥田ヨシノにつき金一三三万一、〇六五円、原告奥田小百合につき金六二万二、一二九円に対する昭和四七年三月一二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの、その余は被告の各負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮にこれを執行することができる。但し、被告が原告ヨシノに対し金七〇万円、同小百合に対し金三〇万円の各担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告奥田ヨシノに対し金一、〇七二万、九、六六七円、原告奥田小百合に対し金一、四〇五万、九、三三三円と、これに対する昭和四七年三月一二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 被告敗訴の場合には仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
訴外奥田国松(以下国松という)は、次の交通事故によつて死亡した。
(一) 発生時 昭和四七年三月一二日午前二時三〇分頃
(二) 発生地 福岡市東区御幸町三の一先路上
(三) 加害車 小型貨物(福岡四〇せ四六三九号)
運転者 訴外 許田毅(以下許田という)
(四) 被害者 訴外 国松
(五) 態様 訴外国松が現場の国道三号線を香椎宮参道から香椎浜に向けて横断中、箱崎方面から和白方面に向けて進行中の加害車に衝突され即死した。
2 責任原因
被告は、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により賠償責任がある。
3 損害
(一) 訴外国松の損害
(1) 逸失利益 金二、二〇三万九、〇〇〇円
訴外国松は、前記死亡事故により次のとおり将来得べかりし利益を喪失した。その額は、二、二〇三万九、〇〇〇円と算定される。
(イ) 給与等の損害
事故時 五二歳
推定余命 二二・一七年(平均余命表による)
稼働可能年数 一一年(損害査定基準による)
収入 年二四〇万円
控除すべき生活費 年三〇万円(生活費関係統計表による)
純利益 年二一〇万円
労働能力喪失率 一〇〇%
年五分の中間利息控除 ホフマン式年別計算による。
(算式) 210万円×100/100×8.590(11年の係数)=1,803万9,000円
(ロ) 得べかりし退職金 四〇〇万円
(2) 相続
原告奥田ヨシノ(以下ヨシノという)は、訴外亡国松の配偶者であり、原告奥田小百合(以下小百合という)はその子であつて、いずれも亡国松の相続人であるから、亡国松の取得した前項(1)の損害賠償請求権をヨシノは三分の一、小百合は三分の二あて、即ちヨシノは金七三四万六、三三三円、小百合は金一、四六九万二、六六七円をそれぞれ相続した。
(二) 原告ヨシノの損害
(1) 慰謝料 金四〇〇万円
原告ヨシノは、訴外国松の妻として、同人の死亡により筆舌に尽くしがたい精神的打撃を被つた。これを慰謝するとすれば金四〇〇万円が相当である。
(2) 葬式費用 金二五万円
原告ヨシノは、亡国松の葬儀を執行したが、これに要した費用のうち本件事故と相当因果関係にあるのは金二五万円とみるのが相当である。
(3) 仏壇購入費 金一〇万円
原告ヨシノは、亡国松の霊をまつるため仏壇を購入したが、これに要した費用のうち金一〇万円が本件事故によつて生じた損害である。
(三) 原告小百合の損害
(1) 慰謝料 金二〇〇万円
原告小百合は、亡国松の唯一の子供であり、同人の死亡により被つた精神的損害は計り知れないものがあるが、これを慰謝するとすれば金二〇〇万円が相当である。
(四) 損害の填補
原告らは、自賠責保険金として金五〇〇万円を既に受領し、これを右各損害金のうち、原告ヨシノの損害に一六六万六、六六六円、原告小百合の損害に三三三万三、三三四円あて各充当した。
(五) 弁護士費用 一四〇万円
以上により、原告ヨシノは金一、〇〇二万九、六六七円を、原告小百合は一、三三五万九、三三三円を被告に対し請求し得るものであるところ、被告はその任意の弁済に応じないので、原告らは弁護士たる本件訴訟代理人にその取立を委任し、福岡県弁護士会所定の報酬の範囲内で、原告らはそれぞれ七〇万円を手数料および謝金として第一審判決後支払うことを約束した。
4 結論
よつて、原告ヨシノは被告に対し金一、〇七二万九、六六七円、原告小百合は被告に対し金一、四〇五万九、三三三円と右各金員に対する本件事故発生日たる昭和四七年三月一二日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項および第2項のうち被告が加害車を所有しこれを自己のために運行の用に供していたとの事実は認める。
2 同第3項の事実中
(一)の(1)(逸失利益)および(2)(相続)、(二)の(2)(葬式費用)および(3)(仏壇購入費)、(五)(弁護士費用)の事実はいずれも不知。
(二)の(1)(原告ヨシノの慰謝料)および(三)(同小百合の慰謝料)はいずれも数額につき争い、その余の事実は不知。
(四)(損害の填補)の事実は認める。
3 同第4項(結論)は争う。
三 抗弁
1 自賠法三条但書による免責
(一) 本件事故は、原告の一方的過失に基づき発生した。
(1) 即ち、本件事故発生現場は国道三号線と香椎宮方面から延びる道路とが交わる信号機のある交差点で、横断歩道標示はなく、歩道橋が設置されており、訴外国松は、当然歩道橋を渡るべきであるのにこれを渡らず、しかも、同人は当時酒酔い加減で、対面信号機(車両のための信号で歩行者用の信号ではない。)が赤で左の方向より訴外許田運転車両が接近してきているのに、これを無視して急に飛び出したため、本件事故は惹起されたものである。
(2) 他方、訴外許田は、法定制限速度内で、前方及び左右を充分注意して本件加害車を運転しており、本件交差点を通過するについても青信号を確認して進行していたところ、暗闇から急に訴外国松が加害車の直前に飛び出したので、急制動をかけるとともに、ハンドルを左に切つたが間に合わず、同人に衝突したもので、訴外許田には過失がなかつた。
(二) 加害車には構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。
2 過失相殺
仮りに被告が有責としても、前記の如く訴外国松には重大な過失があり、相当の過失相殺がなされるべきである。
3 弁済
自賠責よりの金五〇〇万円の他に被告は原告に金一五万円を支払つている。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁第1項の(一)の(1)のうち、本件事故発生現場が国道三号線と香椎宮方面から延びる道路とが交わる信号機のある交差点で、横断歩道標示はなく歩道橋が設置されているとの事実は認め、その余は否認する。
特に、訴外国松の対面信号は青であつた。また、訴外国松が本件交差点に設置されている横断歩道橋を渡らなかつたことに過失はない。
2 抗弁第1項の(一)の(2)の事実はすべて否認する。
即ち、訴外許田には、信号無視、スピード違反、前方注視義務および安全運転義務を怠つた過失がある。
3 抗弁第2項の原告に過失があつたことは否認する。
4 抗弁第3項は認める。
第三証拠〔略〕
理由
一 本件事故の発生と態様
1 本件事故の発生
請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。
2 本件事故の態様
(一) 現場の状況
本件事故現場は、国道三号線と香椎宮方面から香椎浜に至る道路とが交わる信号機のある交差点で、国道には横断歩道標示はなく、横断歩道橋が設置されていることは当事者間に争いがない。
〔証拠略〕によれば、本件事故現場付近の国道三号線は、歩車道の区別があり、車道の幅は二三・四五メートル、歩道の幅を含めると三二・四五メートルで、車道は片側三車線に区分されており、箱崎から和白方向に向かつて左にカーブしていること、本件交差点には、和白方向に向かつて交差点手前の右側角(本件交差点東南角)および歩道橋上に各一灯街灯が設置されており、事故当夜も点灯されていたこと、ガードレールが本件交差点付近の国道三号線の和白方向には両側、箱崎方向には香椎宮側のみ、歩道と車道の区分線上に設置されており、右ガードレールは香椎宮に至る交差道路の車道いつぱいまでそれぞれ設置されていること、本件交差点から箱崎方向に三四三メートルの地点(御幸町交差点)、五五六メートルの地点(車検場入口交差点)、八七二メートルの地点(機動隊前交差点)にそれぞれ信号機が設置されており、右の各信号機と本件交差点の信号機は同時に作動し、そのサイクルは国道側で青八三秒・黄四秒・赤二八秒、国道と交差する道路の各信号は青二〇秒・黄四秒・赤九一秒であること、本件交差点の香椎宮に至る道路には横断歩道標示(ゼブラマーク)があり、かつ、歩行者用信号機が設置されていたが、国道横断者用には歩行者用信号機は設置されていないこと、そしてこれら各信号機は事故当夜、正常に作動していたこと、および本件事故当夜の天候は曇であつたことが認められる。
(二) 訴外運転者許田および加害者の状況
〔証拠略〕によれば、許田は加害車である小型貨物自動車を運転し、昭和四七年三月一二日午前二時三〇分ころ、春日市から粕屋郡古賀町に向け帰宅途中、国鉄鹿児島本線を跨ぐ陸橋から国道三号線機動隊前交差点に至る道路を経て、同交差点を和白方向に右折し、本件交差点にさしかかつたこと、本件交差点にさしかかつたころ、加害車の前照灯は下向きになつており、カーラジオをかけながら走行していたこと、そうして、訴外国松が他一名と共に本件交差点内において国道を香椎宮方向から香椎浜方向に横断しているのを、約三〇メートル手前に至つて初めて発見し、急制動をかけ、ハンドルを左に転把したが間に合わず、加害車の前部を国松に衝突させ、加害車はそのまま香椎浜側歩道に乗り上げ、横断歩道橋の昇降段階の手すりおよびガードレールに接触しながらその間に入り込み、歩道橋橋脚の鉄柱に衝突して停止したことが認められる。
(三) 訴外国松の状況
〔証拠略〕を総合すれば、訴外国松は三苫の西鉄宮地岳線架橋工事現場において、右工事を終えた後、作業員三〇人ないし四〇人くらいに対し日本酒二升がふるまわれ、作業員の多くが湯のみ茶碗一杯ずつくらいを飲み、国松も一杯くらいを飲んだこと、その後、作業員六人らと共にマイクロバスに乗り同工事現場から箱崎に向う途中、昭和四七年三月一二日午前二時三〇分ころ、国道三号線を箱崎方面に走行して本件交差点に至つたところ、本件交差点の香椎浜側の両角にはラーメン店が営業していたため、全員がラーメンを食べることにし、マイクロバスは本件交差点の約二〇メートル程手前で左側歩道上に左折し、歩道上および本件交差点東北角に所在する香椎青果市場(以下市場という)の前の空地を走行して、香椎宮に至る道路の歩道上で歩行者用信号機から約八メートル香椎宮方向に至つた地点に停車したこと、助手席に乗つていた国松は、停車後直ちに降車し、真先に国道の反対側の本件交差点西北角に営業中のラーメン屋に行こうとして、道路横断の前に一旦佇立して左右の安全を確かめることなく、降車するとそのまま小走りにラーメン屋に向つて国道を斜めに横断していたもので、右国道を香椎浜方向にほとんど渡り切つた本件交差点西北角の地点で、斜めうしろから走行してきた加害車に衝突され、衝突地点の約七メートル前方国道上に転倒して即死したことが認められる。
(四) 加害車の速度
〔証拠略〕には、本件交差点にさしかかるころ加害車は時速七〇キロメートルで進行していたとの供述部分があり、〔証拠略〕には時速八〇キロメートルとの供述部分があり、そのいずれが事実であるかはこれを確定するに足る証拠はない。しかしながら、〔証拠略〕によれば、本件事故現場に残つていた加害車のスリツプ痕は、一本が交差点中央付近の中央線から香椎浜方向に四・五メートル寄つた地点から交差点西北角の歩道橋昇り口に向つて延び、その長さは約二六メートル(この長さは乾燥アスフアルトないしコンクリートの道路において時速約七三キロメートルと推定されるものである。)、他の一本は右スリツプ痕に平行し、衝突地点の手前約五メートルから交差点西北側角に向かつて延びその長さは約一〇メートルで、共にそのまま歩道に乗り上げていることが認められ、正確な測定は困難である。さらに前記のごとく、加害車は歩道に乗り上げ、約一八メートルほど突つ走り、歩道橋の階段の手すりとガードレールに接触しながらその間に突つ込み、歩道橋の橋脚に衝突して停止したと認められるのであるから、これらの事実を総合すれば、スリツプ痕が一本のみが長く他の一本が短かいことを考慮しても、加害車は右推定速度よりはさらに速く、少なくとも時速八〇キロメートルは出ていたものと認めるのが相当である。
(五) 本件交差点の信号状況について
本件事故発生時の本件交差点の信号について、原告らは訴外国松は対面信号が青の時に国道を横断したと主張し、被告は加害車は国道方向の信号が青の時に本件交差点に進入したと主張するので、この点につき検討する。
本件交差点付近の信号機の設置状況およびこれら各信号機が事故当時正常に作動していたこと、国道の各信号機は機動隊前交差点から本件交差点まで同時に作動し、そのサイクルは国道方向で青八三秒・黄四秒・赤二八秒、交差道路方向で青二〇秒・黄四秒・赤九一秒(うち全赤四秒)であること前記認定のとおりである。
ところで〔証拠略〕中には、「加害車は鹿児島本線陸橋から三号線機動隊前交差点に至つた際、ちようど信号が青だつたのでそのまま和白方向へ右折し、次の車検場入口の交差点で国道方向の信号が赤だつたので一旦停止し、青信号になつて発進した」との供述部分がある。右証言のうち加害車が機動隊前交差点を青信号で右折したとの事実を前提とすれば、加害車が青信号で右折した後、国道側の信号が青に変わるのは最長二六秒(交差道路方向青二〇秒・黄四秒・全赤二秒)最短六秒である。
次の車検場入口交差点までの所要時間は両交差点間の距離が三一六メートルであるから、時速九〇キロメートルで一二・六秒、同七〇キロメートルで一六・三秒かかり、右折の際徐行していることを計算に入れて時速五〇キロメートルとしても二二・七秒であるから、機動隊交差点を右折後次の車検場入口交差点の信号が赤で一旦停止することは十分可能であり、同交差点で一旦停止したとする右証言の後半部分は信憑性があることとなる。そうして車検場入口交差点から本件交差点までの距離は五五六メートルであり、加害車が車検場入口交差点を青信号で発進した場合、八三秒以内即ち時速二四・一キロメートル以上で進行すれば、加害車は本件交差点を青信号で通過できるわけであり、前記のごとく加害車の速度は時速八〇キロメートル以上と認められ、本件交差点に至るまでもこれに近い速度で走行していたと認めるのが相当であるから、加害車は青信号で本件交差点に進入したことになる。
仮に原告主張のように加害車が車検場入口交差点に至る前に同交差点の信号が青に変わり、同交差点を一旦停止することなく通過したとしても、機動隊前交差点から本件交差点までの八七二メートルを八三秒以内即ち時速三七・八キロメートル以上で走行すれば、本件交差点を青信号で通過でき、加害車の速度は前述のとおりであるから、この場合でも加害車は青信号で本件交差点に進入したと認めうる。
しかしながら前述のごとく加害車が機動隊前交差点を青信号で右折したとの事実を前提としてはじめて本件交差点の国道側信号が青であつたことが合理的に認定されるのであるが、右前提事実を裏付ける証拠としては前記証人許田の証言のみであり、右証言には相当程度の信憑性が認められるけれども右事実を確定するには足らず、他にこれを覆すに足る証拠はないとはいえ、不確定的要素はぬぐい去ることができない。
一方、原告らは、訴外国松が国道を横断する際、対面信号が青であつた旨主張し、その根拠として、国松が乗つていたマイクロバスが本件交差点で左折する際、国道側対面信号機の歩行者用信号が青の点滅であつて、マイクロバスは香椎宮に至る道路の歩行者用信号機から約八メートル香椎宮寄りの地点に停車し、国松が真先に降車して小走(秒速約三メートル)で本件交差点に至つたのであるから、国松の対面信号は青に変わつているはずであると主張するが、当該歩行者用信号が青の点滅であつたことを認めうる証拠は証人藤本義嗣の証言のみであり、藤本はマイクロバスの運転者とはいえ、本件交差点を左折したのならともかく、前記認定のとおりマイクロバスは本件交差点中心から約二〇メートル手前の歩道に左折して進入し、歩道上および本件交差点東北角に所在する市場前の空地を通つて香椎宮へ至る道路の歩道上に停車したのであるから、いわば本件交差点を避けて通つた形となり、果して証人藤本義嗣が歩行者用信号まで確認していたかは疑問であるといわねばならない。また、〔証拠略〕も、乙第一二号証との対比から、にわかには措信しがたい。
結局、本件交差点の信号状況については、いずれかに確定することは困難であつて、前掲各証拠および弁論の全趣旨を総合しても、本件事故時において国道側信号(加害車の対面信号)が青であつた可能性が強いというにとどまらざるを得ない。
(六) その他の加害車および被害者の状況
〔証拠略〕によれば、加害車には、本件事故当時構造上の欠陥、機能の障害はなかつたことが認められる。
〔証拠略〕によれば、本件事故当夜国松らが三苫の作業現場で作業が終わつてから、作業員三〇ないし四〇人に対し日本酒二升がふるまわれ、それぞれ七勺程入る湯のみ茶碗で一杯ずつくらいを飲んだことが認められ、〔証拠略〕によれば、国松の死亡当時の血液中のアルコール含有量は血液一ミリリツトルにつき〇・二七ミリグラムであり、わずかではあるが飲酒していたことが認められる。
〔証拠略〕によれば、本件事故発生当時加害車に対して対向車および先行車は近くにはなかつたことが認められる。
二 双方の過失と責任
1 加害車運転者の過失
以上認定した事実に基づいて考えると、加害車運転者訴外許田は、事故地点の三〇メートル手前に来て初めて前方道路を横断中の被害者国松を認めたのであつて、一方で事故当時対向車もないのに前照灯を下向きにしていたこと、他方で本件交差点には照明灯二基が設置されており、前照灯を下向きにしていても、横断者を認識しうる程度の明るさはあり、本件交差点付近の国道三号線は和白方向に向かつてやや左にカーブしていることから、道路右側から左側に横断しようとする者がある場合、かえつて認識し易い位置関係にあるにもかかわらず、訴外許田は事故当時カーラジオをかけていて信号にも気をとられていたことから注意が散漫になつていたため許田が前方の注視を怠つて国松の発見が遅れたものということができ、しかも当時加害車は、当該車両の法定最高速度時速六〇キロメートルを越える時速約八〇キロメートルの速度を出していた。これらの点はいずれも加害車運転車の過失であつて、これと本件事故発生あるいは重大結果惹起との関連は到底否定しえない。
なお、加害車運転者許田が、国松を発見後急制動をかけると共にハンドルを左に転把して事故を回避しようとした点については、特に責めるべき点を見出し得ない。
2 訴外亡国松の過失
前記認定事実によれば、被害者国松は、近くに歩道橋が設置されており横断歩道標示のない交差点であるにもかかわらず、右歩道橋を渡らず、マイクロバスから降りると道路の手前で左右の安全を十分確認することもなく、そのまま小走りで国道を横断したもので、この点被害者にも重大な過失がある。なお、国松が飲酒していたことが認められること前記認定のとおりであり、そのアルコール含有量は血液一ミリリツトル中〇・二七ミリグラムとわずかではあり、正常な判断ないし行動を妨げるほどのものとは認められないけれども、国松の不注意を助長する一要因となつていたことは否定しえないものと考えられる。
ところで、原告は国松が横断歩道橋を渡らなかつたことについて過失はなかつた旨主張するが、本件交差点国道には歩道橋が設置されており、かつ歩道橋が設置されていない交差道路(香椎宮に至る道路)には横断歩道標示(ゼブラマーク)があり、歩行者用信号機が設置されていたこと、反面国道横断歩行者用には横断歩道標示および専用信号機は設置されていなかつたこと、国道の歩道のうち本件交差点の南西側を除く三方の各歩道には国道と交差する道路の車道に接するまでガードレールが設置されていて、各歩道から反対側歩道への直接の横断は困難と考えられることから、本件交差点においては国道の歩行者横断は予定されていなかつたものと認めざるを得ない。従つて、本件交差点において、通常歩行者が国道を横断するとき歩道橋を利用せず、車両用信号機に従つて横断しているからといつて横断者に過失がないということはできず、また、歩道橋の利用が不便だからといつて、渡らなかつたことに過失がないとも言えないのである。なお、〔証拠略〕中、国松の対面信号機は「車両用信号機に歩行者用のマークがあつたと思う」(第一九項)との部分があるが、この供述部分は前述のとおり横断歩道標示および歩行者信号機が交差道路には設置されているのに国道側には設置されていないこと、ガードレールが交差道路の車道に至るまで全面に取り付けられていることと矛盾し、措信しがたい。
3 被告の責任と過失相殺
請求原因第2項のうち被告が加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたとの事実は当事者間に争いがない。そこで被告は前記第1項に述べたとおり、自賠第三条但書の適用を受ける限りではないから、同条本文により本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。ところで、被害者にも過失があつたことは前記第2項のとおりであり、本件交差点の信号の状況、その他諸般の事情を考慮し、過失相殺の結果、原告らが受けるべき賠償額は総損害からその六割を減じたものとするのが相当である。
三 損害
1 訴外国松の損害
(一) 〔証拠略〕を総合すると、訴外亡国松は大正九年三月一日生まれの健康な男子であつて、昭和二九年七月一日より株式会社松本組(以下松本組という)に鳶職として勤務し、本件事故当時の役職は世話役(工事現場で、労務者を統括して現場指揮をする責任者)であつたこと、さらに、国松は、福岡県下でも有数の鳶職で、松本組とは別に奥田班なるものを構成し、国松自身の責任で仕事を請負つていたこと、土地を二反半所有し、妻である原告ヨシノと共同して米作を行つていたこと、そして右松本組からの給与、奥田班の仕事による収入および農業所得により自己および家族の生活を営んできたことを認めることができる。
(二) 右の事実を基礎として訴外国松の逸失利益を算定すると、
(1) 給与等の損害
〔証拠略〕によれば、国松が事故のあつた昭和四七年の前年度である昭和四六年に松本組から受けた給与は総額一一七万七、一六八円であつたこと、〔証拠略〕によれば、昭和四六年における農業所得は一〇万一、二三三円であつたことが認められ、この農業所得は国松と原告ヨシノの協働により得ていたもので、その寄与した割合は国松六割、ヨシノ四割と認めるのが相当であり、右年度における国松の農業所得は六万七四〇円であつたことが認められる。
ところで、国松は右松本組からの給与の他に奥田班なるものを構成し、国松自身の責任で仕事を請負い収入を得ていたこと前記認定のとおりであるが、〔証拠略〕によれば、右費用は外註費として松本組から国松に対して支払われ、その額は昭和四四年から四六年の間に多い月は二〇万円を越え、少ない時は全くない月もあつたが、月平均一〇万円程度はあつたことが認められる。なお、右各証拠によれば外註費の他に、奥田班維持のための費用として松本組から労管費として国松に支払われていたことが認められるが、右は奥田班維持のための経費として奥田班に対して支払われ、また事実そのために使用されていたものと考えられ、国松個人の経常収入とは認めがたい。
右各認定によれば、国松の本件事故当時の収入は、松本組からの賃金収入、農業収入および右奥田班としての収入(外註費として計上されるもの)を合わせると、原告ら主張の年額二四〇万円を下らないものと認めるのが相当である。
〔証拠略〕によれば、松本組世話役には定年制はなく、昭和四七年度厚生省生命表により平均余命を考慮すると、国松は六三歳まで就労可能であると認定するのが相当であり、稼働可能年数は事故時から一一年である。生活費その他の必要諸経費を右年収額の三五パーセントとし、労働能力喪失率一〇〇パーセント、年五分の中間利息控除は年別ライプニツツ式計算方法によることとする。なお、将来の賃金上昇および貨幣価値の下落は当然には予測しがたく、これを考慮しない。
右に従い国松の給与等の損害を算出すると金一、二九五万七、九八四円となる。
(算式) 240万円×(1-0.35)×100/100×8.3064=1,295万7,984円
8,3064は11年のライプニツツ係数(複利年金現価表による)
(2) 得べかりし退職金
前記認定のとおり、国松は大正九年三月一日生まれであり、松本組世話役には定年制がないのであるから、国松は右会社に入社した昭和二九年七月一日より、就労可能な六三歳になる昭和五八年三月一日まで二八年八月間勤続しえたはずである。〔証拠略〕によれば、松本組には退職金の規定はあるが社員にのみ適用があり、世話役には適用がなく、慣例で支給されていること、世話役の退職金計算式は、退職前三カ月の月平均賃金に勤続年数(但し、端数月切上)を乗じ、現業雇員としての係数〇・八、世話役としての係数〇・七を乗ずるもの(但し一、〇〇〇円未満四捨五入)であること、国松に対しては既に死亡による退職金として金八五万五、〇〇〇円が支払われていること、さらに国松の退職前三カ月の月平均賃金は八万四、七七二円であつたことが認められる。右により二八年八月勤続時に国松の得べかりし退職金を算出すると金一三七万七、〇〇〇円となる。
(算式) 8万4,772円×29×0.8×0.7=137万7,000円(1,000円未満四捨五入)
しかし、これはもともと一一年後に支給を受けるはずのものであるから、その間年五分の中間利息を前記(1)と同様年別ライプニツツ式計算方法により控除すると、その事故当時における現価は金八〇万五、一〇四円となり、これから既に支払われた退職金を差引くと、国松の退職金分の損害はなかつたことになる。
(算式) 137万7,000円×0.58468=80万5,104円(1円未満四捨五入)
0.58468は11年のライプニツツ係数(複利現価表による)
従つて、国松の逸失利益は前記金一、二九五万七、九八四円のみである。
(三) 過失相殺および相続
〔証拠略〕によれば、原告ヨシノは訴外亡国松の配偶者、同小百合は同人の唯一の子供であつて、同人の相続人の全員であることが認められる。そこで、原告らは前記国松の逸失利益に基く損害賠償請求権を、法定相続分に従い原告ヨシノは三分の一、同小百合は三分の二の割合で相続した。
但し、過失相殺により被告の負担すべき額はその四割に限られ、ヨシノは金一七二万七、七三一円、小百合は三四五万五、四六三円となる。
2 原告ヨシノの損害
(一) 慰謝料 金三〇〇万円
本件事故により国松が死亡したことにより、その妻である原告ヨシノの受けるべき慰謝料の額は金三〇〇万円が相当である。
(二) 葬儀費用 金三〇万円
〔証拠略〕によれば、原告ヨシノが亡国松の葬儀を執行しその費用を支出したこと、同人の霊をまつるため仏壇を購入したことが認められる。仏壇費用は葬儀費用とあわせ考慮する。そのうち本件事故と相当因果関係のある損害は金三〇万円とみるのが相当である。
(三) そこで、ヨシノの損害は金三三〇万円となるが、このうち過失相殺により被告の負担すべき額は、その四割の金一三二万円である。
3 原告小百合の損害
慰謝料 金一五〇万円
本件事故により国松が死亡したことにより、その唯一の子供である原告小百合の受けるべき慰謝料の額は金一五〇万円が相当である。
このうち過失相殺により被告が負担すべき額は、その四割の金六〇万円である。
4 損害の填補
原告らが国松の本件事故による死亡に基づく損害につき自賠責保険から金五〇〇万円を、また被告から金一五万円を受領したことは当事者間に争いがない。右金員は原告らの前記損害に、原告ヨシノにその三分の一、同小百合にその三分の二あて充当されたものというべきである。
5 弁護士費用
〔証拠略〕によれば、請求原因第三項の(五)の事実が認められ、本件訴訟の経緯、認容額等に鑑み、右各金額のうち原告ヨシノの関係で金一三万円、同小百合の関係で金七万円を本件事故と相当因果関係のある損害として、被告の負担すべきものとみるのが相当である。
四 結論
以上により、原告らが被告に対し、本件交通事故による損害賠償として支払を求めることができる金額は前記合計額(ヨシノ金一四六万一、〇六五円、小百合金六九万二、一二九円)であるから、原告らの本訴請求は、右各金額およびそのうち弁護士費用を除いた金員に対する本件事故発生日たる昭和四七年三月一二日から支払済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるものとしてこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却する。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項、三項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 権藤義臣)